世界で活躍する ドライバーになる

VOL.293 / 294

Juju(野田 樹潤) NODA Juju

レーシングドライバー
2006年生まれ。3歳からカートに乗り始め、4歳でKIDSカートデビューウィン。9歳でFIA-F4に乗り始め10歳で岡山国際サーキットU17レースにて優勝するなど、父である元F1ドライバーの野田英樹氏の血統を受け継ぎ、幼少期からレース界の最年少記録を更新し続ける。2020年からは14歳にして拠点をヨーロッパに移し、世界を舞台に羽ばたく天才ドライバー。

HUMAN TALK Vol.293(エンケイニュース2023年5月号に掲載)

幼少期からカートレースを席巻し、F4、F3と出場レースの最年少記録を数多塗り替え続けてきたJujuこと野田樹潤氏(以下Juju)。
天才少女ドライバーとして数々のメディアでも取り上げられ、現在は活躍の場を世界へと移し輝き続ける彼女が語るレースへの想いとは。

世界で活躍する ドライバーになる---[その1]

 3歳の時に父から「レーシングカーに乗ってみたい?」って聞かれて「乗ってみたい!」と応え、それでカートをプレゼントしてもらい乗ったというのが最初ですね。怖くなかったみたいです。3歳の頃なんてあんまり怖いって感覚がないじゃないですか。そもそも言葉が通じないんで「これがアクセルでこれがブレーキだよ」って言われても何のことかさっぱりわからないんですよ、3歳だから(笑)。もう身をもって体験して理解するっていう・・・。幼い子って三輪車の乗り方を教えなくても乗れるようになりますよね、その感覚で三輪車より前にカートに乗ったって感じです(笑)。

5歳でプロレーサーを志す

 4歳の時にKIDSカートで初めてレースに出場し、デビューウィン。その時は自分が人より速いっていう自覚は全然ありませんでしたし、レースの世界に進もうなんて気も無かったかな。他にも水泳、サッカー、体操やチアだったり、小さいなりにいろんなことを一生懸命やっていました。ただカートだけは「絶対負けたくない」と思いながら走っていて、自分の中で他の習い事やスポーツと違うなというのは感じていました。
 レースを続けていこう、極めてみようと決意したのは5歳の時ですね。ちょうど父(野田英樹氏)の引退レースがあってその時に花束を渡すのと一緒に「次は私の番だから」って言ったらしいです、覚えてないんですけど(笑)。そうは言っても5歳の子の言うことですから、父もここまで続けるとは考えていなかったと思うんですけど、ずっとサポートし続けてくれている父には本当に心から感謝しています。

KIDSカートを総なめにした頃

野田英樹という父の存在

 自分にとって父とは、サーキットに行ったら監督だしドライバーとしては大先輩でありコーチです。日常ではモーターホームのドライバーとして遠距離の運転をずっとしてくれる、どれも全て〝私のお父さん〟なんです。
 レーシングドライバーのコーチとして〝父のノウハウを叩き込まれる〟というようなことはありません。ドライバーによってやっぱり得意な走り方や感覚は違うので、父からは「自分が走っていた時はここはこういうふうに走ったら走りやすかったよ」という感じで、あくまで自分の経験談、参考意見として教えてくれます。時代が変われば車も走り方も違いますから「ここはこう走れ」みたいに押し付けるのではなく、いいと思ったら取り入れればいい、そう思わなかったらやめればいいというように、先輩ドライバーとして考え方のバリエーションを提示してくれますね。

お父さんは心強いパートナー

才能だけでは世界に行けない

 「お前は才能がある」と父に言われたことがあります。ただ「才能があるだけじゃ世界に行けない」とも言われて。「才能がある人は世界にいっぱいいる、そして才能がある人であればある程度のところまでは行ける。ただ、そこからさらに上に行こうとなると才能だけじゃ行けない。得意なことを得意だと認識することはいいことではあるけれど、それを活かすために一生懸命努力することを絶対怠ってはいけない、それが一番大事だ」と言われたのがずっと心に残っています。
 それもあって、14歳で日本を離れて世界で戦うという決断をしました。日本ではライセンスの関係で4輪のレースに出ることができないんです。でもデンマークなら14歳でも走れる、だから飛びました。そこに迷いはなかったですね。日本での年相応の生活を置いてレースのためにヨーロッパへ行くという決断は自分にとって当たり前のことでした。日本にいる時からレースが生活の中心でしたし、やっぱり何かを極めるならばレース一本に集中していかないと世界で活躍するのは難しいと思うので。もちろん学業の方もオンライン授業などで学びつつ、課題をこなしながら自分の好きな事をやらせてもらっている、集中できる環境を整えてもらえているのは本当に恵まれているなと思っています。

10歳にしてミキハウスがスポンサーに

HUMAN TALK Vol.294(エンケイニュース2023年6月号に掲載)

世界で活躍する ドライバーになる---[その2]

 2020年からはレースに出場できる場を求め、14歳でデンマークのデニッシュF4チャンピオンシップに参戦しました。翌年も同シリーズに出場し、2022年は女性ドライバー限定のフォーミュラ選手権であるWシリーズとヨーロッパ選手権のドレクセラーカップにもF3で参戦しました。今シーズンは引き続きドレクセラーカップに参戦しつつ、イタリアを中心に開催されるジノックスF2000トロフィー、そしてユーロフォーミュラ・オープンにも出場することになりました。3つのシリーズとは言っても使用する車は同じ『ダラーラF320』、タイヤの指定やレギュレーションが一部違いますが併催されるレースも多いので、大変ですけど今年は心からレースを楽しみたいなという気持ちでいっぱいです。

ジノックスF2000トロフィーの2023年初戦で見事優勝

ダラーラF320との相性は抜群(装着するホイールはエンケイ製「FA021」)

ヨーロッパでの生活

 ヨーロッパではモーターホームで移動しながら生活しています。意外と快適なんですよ。飛行機だと毎戦ごとに荷物をパッキングしなきゃいけないんですけど、モーターホームならレースが終わったらサッと次の場所へ出発できますから。それに国ごとに変化する景色を眺めながらちょっと寄り道してその街ならではのご飯を食べたり、各国の雰囲気も楽しめますし。ずっと運転してくれる父に感謝です(笑)。
 どこの国へ行っても英語が共通言語なので早く上達したいです。最初デンマークに行った時は全然喋れなかったけど、オフにイギリスへホームステイして英語を勉強する機会を増やしたりして、まだまだですけど簡単なコミュニケーションは取れるようになってきました。今年はまだ今のところインタビューの時にお父さんに助けてもらわずに話せているんで、そこは成長を実感しています。あとは今、いろんなトレーナーさんに助けられながら、フィジカルトレーニングやメンタルトレーニング、動体視力を上げるビジョントレーニングなどにも取り組んでいます。

地道なフィジカルトレーニングも欠かさない

負けても負けても諦めない

 小さい時からお父さんと決めていたことなんですが「負けても負けても諦めない」という約束があります。レースに限らず他の競技もそうですけど、勝負ごとって勝つ回数より負ける回数の方が多いと思うんです。でも負けることから学ぶこともあるし、成長もできる。諦めなかったらその負けが意味のある負けになるんです。だから「負けても負けても諦めない」っていうのは小さい時から自分の中で決めていることです。もちろんできれば負けたくないですけど(笑)。でも振り返ってみると去年も一昨年も含めて、あの悔しかった経験があるから今があるなって思います。

世界で活躍する レーシングドライバーに

 私は世界で活躍できるドライバーになるのが夢なんです。日本ではモータースポーツって他のスポーツに比べてまだまだマイナーだと思うんです。歳が近い友達に「私レースやってるんだ!」って言ったら「レースって何?」ってとこから始まるんで(笑)。でもモータースポーツは人を惹きつけて熱くなれるし、昔のようにもっと人気が出てもいいと思うんです。そこに今欠けているのはやっぱりスター選手の存在なんだろうなって。日本人のスター選手が沢山出てきたらメディアからも注目されるし一般の人も見てくれる。自分の活動の結果として、そういった事にも繋がっていけば嬉しいですし、これまで自分は沢山の人にサポートされてきました。だからこそ成長している所を見て頂き、いつか自分の活動が社会貢献やモータースポーツ業界の発展にもつながっていかなくてはならないと思っています。エンケイさんをはじめとする沢山のスポンサーさんや応援してくださる方など、多くの方から注目される度合いが上がっているなと感じます。昨年には時計のセイコーグループが設立した『第5回 服部真二スポーツ賞』のライジングスター部門をいただけてとても光栄でしたし自分の自信にもつながりました。
 来年東京で開催される予定のフォーミュラEに出場するのも一つの目標ではありますが、それが最終目標ではありません。もちろん自分にとっていい経験になるし、出場できたら世界で活躍するという自分の夢に近づくんじゃないかなって思うので、今は目の前にある壁に一つずつチャレンジし続けていきたいなと思います。


F1ドライバー角田裕毅氏と対談も

  • facebook
  • twitter